執筆者紹介
株式会社メンバーズ
「“MEMBERSHIP”で、心豊かな社会を創る」を掲げ、DX現場支援で顧客と共に社会変革をリードする、株式会社メンバーズです。

先行して生成AIを導入した企業の多くが、実装と運用の段階で停滞しています。導入はスムーズに進んだものの、現場での実効性が高まらないという課題です。なぜ、このようなギャップが生じるのでしょうか。その大きな要因は、社内のナレッジが、AIにとって可読(マシンリーダブル)な資産になっていない点にあります。生成AIは、与えられた情報を基に論理を再構成する高度な処理エンジンで、アウトプットの精度は入力されるナレッジの品質に一義的に規定されます。
未整理で曖昧な情報のまま運用を続ければ、精度が担保されないばかりか、ハルシネーションのリスクを増幅させ、かえって現場の混乱を招きかねません。Gartnerの調査で、データ活用で十分な成果を上げている日本企業がわずか2.4%に留まっているという事実は、多くの組織においてAIのポテンシャルを引き出す土台が未整備であることを物語っています※1。
こうした課題を深堀りすると、そこには組織における情報の分断が見えてきます。多くの企業では、レガシーなシステムや縦割りの組織構造、部門ごとの管理ルールといった制約があり、ナレッジが業務単位やシステム単位で孤立するサイロ化の状態に置かれています。その結果、過去の成功事例や意思決定のプロセス、専門的な部門が培ってきたノウハウなど、企業にとって重要な知的資産が埋没し、十分に活用されていません。ナレッジが個人の記憶や属人的なスキルに留まり続ける限り、業務の再現性は担保されず、AIの真価を引き出すことも、組織としての持続的な成長を望むことも困難となります。
経済産業省が公表したDXレポート2.2で指摘されているように、DXにおける競争力の源泉は個人の能力ではなく、組織全体に知見を集積・共有することにあります※2。AIを業務の戦力として活用するためには、まず情報の分断を解消し、社内の知をAIが解釈できる構造へと変換するナレッジベース化が不可欠です。それこそが、AI活用のスタートラインであり、最優先で整えるべき土台となります。
ナレッジの整備がAI活用の土台であることは明らかになってきましたが、では実際に、どのような視点でナレッジを構築すればよいのでしょうか。精度と再現性を備えたAI活用を実現するためには、ナレッジの体系的な整理と構造化が不可欠です。
AIを実務に組み込む際、どのような知識を学習・参照させるかは、アウトプットの成否を分かつ決定的な要因となります。しかし、社内外に散在する情報を無秩序に投入しても、期待する精度は得られません。むしろ雑多なノイズはAIの判断を鈍らせ、回答の品質を低下させるリスクがあります。そこで重要になるのが、ナレッジを3つの階層(レイヤー)で整理するアプローチです。知識を以下の3層に構造化することで、AIは適切な文脈に沿った高度なアウトプットができるようになります。

パブリック層(一般知識)
Web上の公開情報を中心とした汎用的な知見。文章の構成や要約、論理の構築など、業務効率化のベースとなる役割を担います。
プライベート層(独自の知的資産)
社内規定や過去の業務履歴、ナレッジ共有資料など、組織内で蓄積された独自の情報群。自社独自のルールや判断基準をAIに反映させるための基盤になります。
業界ナレッジ層(専門領域)
業界固有の法規制や商習慣、専門用語や前提となる知識など、より専門的な領域。汎用AIでは代替できない、他社との差別化を支える重要な要素です。
たとえば顧客への提案書を作成する際、パブリック層で汎用的な論理構成を整え、プライベート層から自社の実績や成功事例を引用し、さらに業界ナレッジ層で特有の法規制や課題への対応を補完します。これら3層のナレッジが有機的に結合することで、AIの回答には単なる一般論を超えた「その企業ならではの付加価値」が宿るようになるのです。
3層のナレッジを整えても、それをAIが自在に活用できなければ意味がありません。ここで重要になるのが、RAG(検索拡張生成:Retrieval-Augmented Generation)と呼ばれるアーキテクチャです。RAGは、AIモデルが本来持つ広範な知識に加えて、外部のナレッジベースをリアルタイムで参照し、必要な情報を動的に反映させる技術です。この仕組みを介することで、AIは汎用的な回答に留まらず、自社固有のデータに基づいた高精度の応答が生成できます。
RAGの導入によって、AIのハルシネーションを効果的に抑制できるほか、回答の根拠になる出典(ソース)を明示できるのも大きなメリットです。参照元が明確になることで、出力内容の信頼性が高まり、ナレッジの更新や運用上のメンテナンスも効率的におこなえるようになります。こうした背景から、企業におけるRAGの活用は急速に広がっています。
エクサウィザーズの調査によると、2024年時点でRAGに取り組んでいる企業は、検証中の段階を含めてすでに5割を超えています※3。ナレッジベースの整備とRAGの導入は、AI活用の先進的な選択肢ではなく、不可欠な前提条件になりつつあります。
3層構造によるナレッジの整理と、RAGを通じた情報の抽出を整えることで、AIの精度は飛躍的に向上します。しかし、それだけでは優れた検索システムにとどまり、実務における価値の創出には至りにくいものになります。AIが組織の中で実際に動くためには、ナレッジが日々の業務フローに組み込まれ、現場の判断や行動に直結する必要があります。企業に求められるのは、AIが単に情報を知っている状態から、業務プロセスに沿って実行を支援するフェーズへと進化させることです。
この実行支援の具体的なあり方は、業務によってさまざまです。すでにいくつかの分野では、AIがナレッジを動的に参照しながら業務を推進する仕組みが整えられつつあります。
カスタマーサポート
顧客からの問い合わせを受けた際、その文脈を即座に理解し、FAQや過去の対応履歴から最適な回答案を提示するもの。オペレーターの支援だけでなく、自動応答の質の高度化にもつながります。
営業・マーケティング
CRMの更新をトリガーに、過去の提案資料や類似案件を自動で検索。文脈に沿ったメール案や資料の雛形を提示することで、営業活動を加速します。
社内ヘルプデスク
システム不具合や業務トラブルに対して、最新の社内マニュアルを参照し、解決策を提案。必要に応じて関連部署へのタスク割り当ても実行します。
これらに共通するのは、業務が発生したその瞬間にAIがナレッジベースへ自らアクセスし、最適な情報を即座に活用するという点です。従来のように人が検索するのではなく、業務が発生した時点でAIが自動的に情報を呼び出す。その仕組みが、次世代の業務を支える基盤になります。
ナレッジベースの構築において、技術的な関心はRAGやAIモデルの性能に集まりがちです。しかし、実際の成否を分けるのは、供給される情報の質に他なりません。不正確な、あるいは鮮度の落ちた情報をAIに学習させれば、自信に満ちた誤答が出てきます。これは、いわゆるGIGO (Garbage In, Garbage Out)の典型です。正確かつ最新のナレッジをAIに与えるためには、単なるデータの集約を超えた、実務レベルでの丁寧な整備が不可欠です。ここでは、ナレッジベースを構築するための5つのステップを紹介します。
ナレッジベースを構築する際、多くの企業がツールの選択という壁に直面します。ここで重視すべきは、AIモデルのスペックや機能数ではなく、誰がどのように運用し、いかなるガバナンスを敷くかという運用設計の視点です。経済産業省やIPA(情報処理推進機構)のガイドライン、主要クラウドベンダーのアーキテクチャを参照すると、ナレッジ基盤の設計は、2つの型に集約されます。
まず、業務部門が主導権を握り、ナレッジの整備からAIへの反映までを自律的に遂行することを重視するアプローチです。Notionのようなナレッジ管理SaaSと、ローコードのRAGツールを組み合わせる構成が一般的で、情報システム部門の工数に依存せず、迅速に導入・改善を回せる点が最大の特徴です。
向いている場面
情報の更新頻度が高く、まずは特定の業務(カスタマーサポートや営業支援など)において、スピーディーに成果を上げたいケースに適しています。
象徴的な事例:Upwork(米国)/現場主導でメール問い合わせの50%を自己解決化
世界最大級のクラウドソーシングプラットフォームを運営するUpworkは、カスタマーサポート部門が主導してAIプラットフォーム「Forethought」を導入しました。既存のヘルプ記事や過去の対応履歴を横断的に活用することで、AIによる高度な自己解決(セルフサービス)を実装。その結果、メールによる問い合わせの50%をAIが完結させ、チャット経由の自己解決率も従来の45%から75%へ大きく向上しました。業務部門がナレッジとAIを結びつけ、現場の感覚で継続的な改善を図っています。
一方で、全社規模での情報資産の利活用や、高度なセキュリティ確保を前提とする場合、現在ではクラウドネイティブなAI基盤の構築が主流となっています。Amazon BedrockやAzure OpenAI Serviceを中核に据え、Amazon KendraやAzure AI Searchといった強力な検索・ベクトル基盤を組み合わせることで、企業の情報環境をシームレスに統合します。
この構成の最大の利点は、データの暗号化、アクセスログの監視、厳格な権限管理など、エンタープライズ水準のガバナンスが担保される点にあります。クラウドベンダーが提供する標準的なアーキテクチャを活用することで、高いセキュリティ基準を維持しながら、迅速に実装できます。
向いている場面
社内の機密情報を扱う部門、法規制対応が求められる業界、大規模・全社的なナレッジ基盤の構築を目指すケースに適しています。すでに多くの先進企業が、ナレッジベースと生成AIの融合により、業務のあり方を根本から考え直しています。ナレッジの性質が異なる3つの象徴的な事例を紹介します。
NEC・東レエンジニアリング/現場の勘所をAIに継承し、設計業務を高度化
製造現場における課題に対し、NECと東レエンジニアリングはPLM(製品ライフサイクル管理)ソフトウェア「Obbligato」と生成AIを連携させたソリューションを実用化しました。特長は、長年蓄積された設計図面や仕様書から、ベテラン技術者の判断基準や設計の意図をAIが抽出・要約する点にあります。
これにより、経験に依存しがちな、設計の勘所を形式知化します。若手がAIとの対話形式で熟練者のノウハウを引き出せるこの仕組みは、技能継承のハードルを下げる期待があります。品質の安定と技能継承を同時に追求する、次世代の製造モデルです。
中外製薬/創薬研究の知見を即時検索可能にし、開発を加速
創薬領域における膨大な専門知を組織の資産に変えるべく、AWS上に自社専用基盤「Chugai AI Assistant」を構築しました。この取り組みは生成AIと社内データを連携させることで、過去の研究で積み重ねた知見や類似事例の検索・要約を自然言語による対話形式で可能にしています。
これにより、情報探索にかかっていた時間を大幅に短縮しました。特筆すべき活用は、治験計画を届け出た後の照会対応におけるスピードアップです。過去の問い合わせや類似案件を迅速に参照することで、開発のタイムラインを左右するコア業務の迅速化に成功しています。
NTTデータ/属人化した判断をAIで構造化し、技術継承を実現
熟練者のヒアリング記録や業務ログから、言語化が困難だった判断の要諦を生成AIによって抽出する取り組みを進めています。特長は、これまで個人の経験則として閉じていた暗黙知をデジタル上で構造化し、若手がオンデマンドで参照できるナレッジベースとして再構築する点にあります。属人的なスキルを組織全体の共有資産へと変換するこの試みは、その先にコンサルティングやプロジェクト管理における知の平準化を見据えています。
ナレッジベースの構築は、単なる業務効率化の手段にとどまりません。企業が長年培ってきた経験や知恵といった無形資産を、AIという新たな力で活性化して競争力に変えていく。それはまさに、AI時代における中核的な経営戦略のひとつになります。生成AIの成果を左右するのは、アルゴリズムの先進性ではなく、ナレッジをいかに正しく、そして実用的に整備し、運用できるかにかかっています。情報が社内に点在し、更新されないまま放置されていては、AIは十分に機能せず、むしろハルシネーションのリスクが増幅することになってしまいます。
成果を上げている企業の多くは、ツールの選定に先立って、自社の知見をどう整理するかという問いに向き合っています。まずは社内に埋もれたナレッジを棚卸しし、その信頼性と鮮度を見極めること。そして、カスタマーサポートなど実効性の見えやすい領域からRAGを実装し、現場が自走できる体制を整えていく。こうした着実なステップが、ナレッジ活用の定着と拡張を導きます。
さらにその先には、情報の更新サイクルを業務に組み込む、いわばナレッジDXへの移行が求められます。部門を越えた知の連携が実現したとき、属人化やサイロ化の壁は取り払われ、組織の意思決定スピードと精度は飛躍的に向上するでしょう。目指すべきは、蓄積されたナレッジをもとに、AIが自律的に提案・判断をおこなう次世代の業務プロセスです。知識という資産を、AIが活かせるかたちへ移行し、いまこそ企業の土台を再構築すべきタイミングです。
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