執筆者紹介

株式会社メンバーズ
「“MEMBERSHIP”で、心豊かな社会を創る」を掲げ、DX現場支援で顧客と共に社会変革をリードする、株式会社メンバーズです。
近年、「体験価値」を軸とした経営の重要性が高まるなかで、注目を集めているのが「サービスデザイン」です。これは、顧客が製品やサービスを通じて得る体験を、企業全体で最適化するための設計手法であり、特にUX(ユーザー体験)の向上を出発点としながら、CX(顧客体験)全体の質を高めることを目指します。
UXは主に、ユーザーとのインターフェースや操作感など「個別の接点」に焦点を当てます。一方で、CXは企業との継続的な関係性全体を俯瞰する考え方です。サービスデザインはこの両者を包括しており、「顧客の体験」と「それを支える組織やプロセス」の両方を横断的に設計するアプローチです。
つまり、サービスデザインはフロントステージ(顧客接点)の体験だけでなく、バックステージ(業務フローやシステム設計)との接続性も視野に入れ、UXを「点」から「面」へと広げていくものです。
経済産業省はサービスデザインを「サービスの提供プロセス全体を俯瞰し、利用者視点での価値提供を再構築する設計思考」※1と位置づけ、重要性を強調しています。また、デジタル庁もサービスデザインを「デジタル時代の政策・サービスのユーザー中心設計を支えるもの」として、その戦略的重要性を明示しています。
では、なぜ今、サービスデザインが企業にとっての経営アジェンダとして注目されているのでしょうか。
多くの企業では、事業部門ごとにUXやKPIが分断され、顧客体験を全社で共有・最適化することが困難になっています。例えば、実店舗では店員による丁寧な接客が評価されている一方で、ECサイトでは商品検索の使い勝手が悪く、購入までの導線が煩雑になっていたり、カスタマーサポートでは問い合わせのたびに顧客情報を一から説明させられるといったケースです。
こうしたチャネルごとの“部分最適”が積み重なると、顧客は接点を切り替えるたびに異なる体験を強いられ、結果として「一貫性のないブランド体験」につながります。サービスデザインは、この分断を乗り越え、全体を貫く“共通の体験価値”を設計する手段になるのです。
UXやデザインの取り組みは、「感覚的で成果が数値化しにくい」といった認識により、経営層に十分に理解されていないケースが少なくありません。そのため、他の投資領域と比べて優先順位が下がり、経営判断に結びつきにくくなっています。
さらに、サービスデザインはROIやKPIの設定が曖昧になりがちで、事業戦略に位置づけられにくいという課題もあります。ジャーニーマップやプロトタイプの効果を、顧客満足度やNPS、LTVといった指標に接続して評価することが求められます。定量・定性の両面から効果測定を設計し、経営層と共通言語を築くことが、定着の鍵となります。
サービス改善の取り組みが、単発のプロジェクトで終わってしまい、継続的な改善文化として組織に根づかないケースは少なくありません。その背景には、部門ごとにデータが分断され、顧客行動やインサイトが統合的に活用されていないという構造的な課題があります。この結果、サービス全体を見渡した最適な設計が困難になっているのです。
さらに近年では、AIの活用やパーソナライズの高度化が進むなかで、「断片的なデータ環境」がこれらの取り組みの障壁となる場面が増えています。サービスデザインは、こうした情報のサイロ化を乗り越え、部門を横断した視点で知見を共有・蓄積し、継続的な改善サイクルを生み出すための基盤となります。
サービスデザインの効果は、理論やフレームワークにとどまらず、実際の企業変革においてこそ明確に示されます。本ブロックでは、前章で提示した3つの構造課題を踏まえ、国内外の先進企業・行政機関によるサービスデザインの実践事例を紹介します。いずれの取り組みも、体験価値の最適化と組織変革の両立を図るうえで、有用な示唆を提供するものです。
取り組み
イタリアの保険大手Generaliは、グローバルに広がる拠点・チャネル・システムを対象に、全社的な顧客体験(CX)の統合改革に着手しました。Accentureと連携し、本社から各国の支社、ローカル代理店、営業職員、そして顧客向けのデジタルチャネルまで、多様なステークホルダーを巻き込んだ変革を推進。特に注目すべきは、顧客だけでなく従業員の体験最適化にも踏み込んだ点で、全体のUI/UX基盤としてデザインシステムを導入しています。
成果
全チャネルでの体験統一により、顧客接点ごとの情報断絶を解消。タッチポイントの一貫性と操作性が向上したことで、ユーザー満足度とエンゲージメントの向上に寄与しました。従業員の業務効率も改善され、社内外の体験最適化が同時に進行。企業全体で「共通の顧客理解」を軸としたサービス提供が可能となりました。
取り組み
三井住友銀行は、グループ横断のDXプロジェクト「DX-link」において、ユーザーの感情に寄り添うデジタル体験の実現に取り組んでいます。無機質になりがちな銀行のデジタル接点に対し、UXリサーチチームが顧客の生の声を継続的に収集・反映。UIの細部にまでこだわり、ただ使いやすいだけでなく、“人間味”や“安心感”のある設計を追求しました。
成果
顧客視点に基づいた体験の最適化により、ユーザー満足度が向上し、「最も選ばれる金融グループ」を目指すビジョンの実現に貢献。こうした取り組みは高く評価され、2021年度のグッドデザイン賞を受賞するなど、サービスデザインの実践としても注目を集めています。
取り組み
Uber Eatsは、グローバル展開のなかでも「地域ごとの最適な顧客体験」を実現するため、「Walkabout Program」というフィールドリサーチを導入しました。プロダクトデザイナーやUXリサーチャーが実際に都市に赴き、その地域の文化や交通インフラ、注文行動を観察し、生活文脈を理解する取り組みです。例えば、高密度都市では駐車スペースの不足が配達体験の妨げになっていることが判明したため、配送パートナー向けアプリにステップバイステップの駐車ナビ機能を追加しました。さらに、レストラン事業者や配達パートナーの業務フローを踏まえたUI改善もおこなっています。
効果
地域の実情に即したプロダクト改善により、配送時間の短縮や注文完了率の向上といった成果が見られました。顧客満足度の向上に加えて、配送パートナーの負荷軽減や加盟店の業務効率化にもつながり、地域ごとの競争力強化に寄与しています。顧客体験と事業運営の双方に貢献する、サービスデザインの好事例です。
取り組み
建設機械メーカーのCaterpillarは、IoTを活用したデジタルソリューションにより、製品販売中心からサービス主導型ビジネスモデルへと転換を進めています。建機に搭載されたセンサーによって稼働状況や診断データをリアルタイムで収集・分析し、フリート管理プラットフォームを通じて、予兆保守や稼働最適化を実現。顧客ごとに最適なメンテナンス提案や稼働効率の改善支援をおこなう体制を構築しています。
効果
IoTと分析技術の活用により、機器の故障予防や稼働停止の最小化を可能にし、顧客の運用効率と満足度を向上。機器寿命の延長やトータルコスト削減にも寄与し、サービス領域での収益拡大に貢献しています。プロダクトとサービスを融合した「稼働体験の最適化」により、顧客との継続的な関係構築を実現しています。
取り組み
農業機械メーカーのAGCOは、欧州域内の物流体制を抜本的に見直し、輸送管理システム(iTMS)と4PL戦略を統合しました。さらに、物流管理タワー(コントロールタワー)を導入し、輸送プロセス全体の可視化とリアルタイムでの最適化を実現しています。
効果
この取り組みにより、輸送コストは18~28%削減、在庫は24%削減、オンタイム納品率は10%向上、ネットワークパフォーマンスは25%向上しました。単なる業務効率化にとどまらず、納品スケジュールの精度が高まったことで、顧客が安心して業務計画を立てられるなど、信頼性の高いCXの実現にもつながっています。
取り組み
高級ジュエリーブランドのChow Sang Sangは、実店舗・EC・モバイルアプリ・SNSなどを横断するオムニチャネル型のロイヤルティプログラム「Star Shopper」を導入しました。AIを活用し、顧客ごとのセグメンテーションに基づくパーソナライズド体験を設計。さらに、メッセージングアプリ連携や、誕生日特典・イベント招待など、エンタメ性を重視した会員体験を設計しています。SyteやRTB HouseといったAIパートナーとの協業により、顧客行動データを活用したUXの最適化を進めています。
効果
Syte導入後、商品レコメンドのCVR(コンバージョン率)が8.2倍に向上。RTB Houseの活用により、平均注文額は27%増加。こうした定量成果は、デジタルとリアルを横断する設計によって実現されたものであり、ラグジュアリーブランドにおける次世代型CRMの先進事例となっています。
取り組み
シンガポールの労働省(Ministry of Manpower, MOM)は、18年間稼働していた旧来の雇用パス管理システムを刷新するため、「Work Pass Integrated System(WPIS)」プログラムを立ち上げました。MOM内の専任組織WINS PO(Work Pass Integrated System Programme Office)が主導し、企業、約41万2千人のワークパス保有者、MOM職員といった多様なステークホルダーを対象に、デザインリサーチを通じて現行システムの課題とニーズを可視化。政策策定・システム設計・業務運用の整合を図りながら、ユーザー中心設計を徹底しました。
効果
ユーザー体験の向上に加え、システム操作の効率化やエラー削減、職員の業務負荷軽減を実現。多様なステークホルダーのニーズを一つのサービスに統合することで、デジタルガバメントの象徴的なプロジェクトとなりました。この取り組みは、Service Design Award 2024の非営利・公共部門で表彰され、国際的にも高く評価されています。
取り組み
ポルトガル・リスボン空港では、空港利用者の体験向上を目的に、サービスデザインの手法を導入しました。デザイナーは旅客に対する観察・インタビューを通じて潜在的なニーズや課題を抽出。得られたインサイトをもとに、空港運営側の業務プロセスと利用者ニーズを接続する戦略フレームワークを構築し、組織全体での共有と実装を推進しました。
効果
この取り組みによって旅客の満足度が向上したほか、運営側の業務効率も改善されました。さらに、空港組織全体においてユーザー中心の思考が定着し、持続可能なCX向上の文化が醸成されています。
国内外の先進事例から、サービスデザインがいかに顧客体験の最適化に貢献し、企業の変革を支えているかが見えてきました。冒頭で示した構造的な課題に対し、サービスデザインは「顧客視点」と「共創」を軸に、組織やプロセスを変革する実践的なソリューションとして機能します。
部門ごとにKPIや施策が分断されている企業では、「顧客の体験」が部門単位でバラバラに設計される傾向があります。こうした縦割り構造のなかでサービスデザインが果たす役割の一つが、ステークホルダー間の共通認識を育む「共創型リサーチ」の導入です。
三井住友銀行の「DX-link」では、UXリサーチを通じて現場と経営層が同じ顧客像を共有。イタリアの保険大手Generaliでも、顧客インタビューやワークショップを組織横断で実施することで、体験設計の起点を部門ごとの視点ではなく、顧客のリアルな行動に置き換える取り組みが進んでいます。こうして組織内に「顧客視点」という共通言語が生まれ、一貫性のある体験設計が可能になります。
経営層がUX施策の効果を実感できない背景には、「部分最適」のまま評価指標が設定されていることがあります。サービスデザインは断片的なタッチポイントを「点」ではなく「線」として再構築し、カスタマージャーニーとして可視化します。例えばUber Eatsでは、地域ごとの文化や生活様式を反映したジャーニー設計をおこない、施策ごとのインパクトを定量・定性で測定する仕組みを構築。これにより、KPI設計の根拠が明確になり、経営層との合意形成や投資判断がしやすくなるといった効果が生まれています。
もう一つの大きな課題が、「取り組みが一過性に終わってしまう」ことです。例えば、施策が一度限りの対応にとどまり、改善が属人化して組織に知見として蓄積されない、といったケースが多く見られます。ここで有効なのが、プロトタイピングとフィードバックを短いサイクルで回し、学びを組織に定着させるアプローチです。
建機メーカーのCaterpillarでは、顧客行動のログデータをリアルタイムで分析し、サービス設計に反映するサイクルを確立。構想・設計・検証を反復的におこなうことで、顧客視点の改善を継続しながら、ROIの可視化とナレッジの蓄積を同時に進めています。このように、サービスデザインは“改善”を“文化”へと昇華させ、短期的な効果だけでなく、長期的な成長基盤の構築にも寄与します。
サービスデザインは、単なる「設計手法」ではなく、組織変革とビジネス成長を支える実践知です。その中核を担うのが、考え方と手法を理解し、組織横断で動いていける人材に他なりません。
彼らは、戦略と現場、体験と業務、理想と制約の間を橋渡しする“ハブ”として機能し、サービスデザインを企業のなかで持続可能にする推進力となります。ここでは、そうした人材がもたらす価値を4つの視点から整理します。
顧客接点(フロントステージ)と、その裏側で支える業務・システム(バックステージ)を一貫して設計するのが、サービスデザイン人材の中核的な役割です。ITや開発、マーケティング部門と連携しながら、理想と現実の接点を見極め、実現可能なサービス像を構築していきます。
新たなサービスや機能を立ち上げる際、もっとも不確実性の高い部分──それがディスカバリーフェーズです。サービスデザイン人材は、仮説の構築と検証、プロトタイピングを通じて、事前にリスクを可視化し、開発フェーズでの迷走や手戻りを防ぎます。これにより、ビジネススピードと開発精度の両立を実現します。
サービスデザイン人材は、ユーザー視点が組織の意思決定と乖離しないよう、部門を横断した合意形成やフィードバック文化の定着を支援します。プロジェクトが単発で終わらず、UXの思考が組織に根づくよう導くことも重要な役割です。さらに、UXへの理解度や実践度を段階的に評価・可視化しながら、全社的な浸透を支えます。これにより、UXが属人的な活動にとどまらず、サービス開発や意思決定の共通基盤として機能する土壌が育まれていきます。
顧客体験を単なる“接点の最適化”にとどめず、事業戦略と結びつける視座を持つことも、サービスデザイン人材の強みです。点ではなく線で捉える視点、改善を一度きりで終わらせず反復する姿勢が、顧客ロイヤルティの向上と、持続可能なビジネス成長の両立を支えます。
サービスが高度化し、顧客の期待も多様化する今、企業には“つながった体験”の提供が求められています。サービスデザインはその実現に向けた「羅針盤」であり、サービスデザイン人材はそれを動かす「舵取り役」になります。
ユーザーインターフェースにとどまらず、サービス提供の裏側にあるオペレーション設計、部門間の連携、業務プロセスの最適化、システム間の統合といった構造的要素までを視野に入れ、企業の“在り方”そのものを設計する。こうした包括的な価値創出の枠組みこそが、サービスデザインです。企業が変化の激しい市場環境のなかで、顧客との継続的な関係を築き、持続的に競争力を高めていくためには、この視点を経営の中心に据えることが求められます。
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「“MEMBERSHIP”で、心豊かな社会を創る」を掲げ、DX現場支援で顧客と共に社会変革をリードする、株式会社メンバーズです。