データ基盤やBIツールの整備は、企業の前線で着実に進んでいます。それでも、経営判断や業務改善には結びつかない。こうした状況は、今や多くの企業に共通する課題として浮かび上がっています。
多くの企業では、データ戦略は存在していても、それが現場でどう活かされ、どのような成果につながるのかが曖昧なまま運用されています。
こうした状況に対し、現場レベルで何が起きているのかを示す調査もあります。IT分野の市場分析を手がけるグローバル調査会社IDCは、製造業においてERPと現場データの統合に課題を抱える企業が多いと分析しており、戦略と実行の間に大きなギャップが生じていることがわかります※1。
そのギャップを乗り越え、成果につなげているケースもあります。Accentureの調査では、データ活用に長けた企業は、全体の約2割にとどまるものの、他社と比べてより迅速かつ高確度で価値を引き出し、高い確率で優れた財務実績を達成していると報告されています。これらのデータリーダー企業は、強固なデータ戦略のもとに部門をまたいだ連携を取り、誰もが信頼性の高いデータにアクセスしやすい「データの民主化」を実現しています※2。
データ基盤やBIツールの整備が進む一方で、部門間やシステム間でデータが分断された状態、いわゆるサイロ化は、迅速かつ的確な経営判断を妨げる深刻な要因になります。Salesforce傘下のIT企業MuleSoftの調査によれば、ITリーダーの81%が「データサイロがDXの障壁になっている」※3と回答しており、組織横断のデータ活用における構造的な課題が浮き彫りになっています。
さらに、IoTマーケットのリサーチ企業IoT Analyticsは、企業がリアルタイムデータへのアクセスや現場機器を制御する運用技術(OT:Operational Technology)のレガシーな制約を克服するために、ITとOTの統合ソリューションを採用していることを報告しています※4。これらの調査結果は、データドリブン経営の課題が単なるIT導入やデータ量の問題ではなく、経営戦略と現場運用の間に使われる設計をいかに構築できるかにかかっていることを示しています。
データの整備や可視化が進んでも、誰が・いつ・どのように使うかまで設計されていなければ、業務に根付くことはありません。その結果、必要なデータがあっても、現場で参照されず、判断にも活かされない――。このようにして、使われないデータが業務の随所に蓄積していきます。
グローバルITコンサルティング企業C&Fのレポートでは、プロセス全体のUX設計の欠如が業務フローの非効率化やツールの低い採用率を招くことが示されています※5。これは結果的に、意思決定に必要なデータが活用されない要因になります。業務フローとUXをつなぐ工夫がなければ、せっかくのデータも見られない・使われない状態に陥るのです。
さらに、米国のソフトウェア企業IDERAのレポートでも、業務プロセスとデータアーキテクチャの断絶が、データ活用の価値を引き出せない要因として指摘されています※6。現場で使われることを前提とした情報設計の重要性があらためて問われています。
データを経営に結びつけている企業には、技術導入だけでは得られない共通点があります。目的と手段が一貫し、組織内で使われる仕組みとして設計されていること。それこそが、データが戦略を支える実働力になります。
経営のビジョンや事業目標が、具体的なKPIとして現場にまで落とし込まれ、それに対応したデータが適切に収集・可視化されています。これにより、何のために、どの指標を、どう活かすかが明確化され、全社で整合性ある意思決定が可能になります。
JPMorgan Chaseでは、AIを活用したリアルタイムの不正検知とリスクKPIが連動し、判断の即時性と制度化を両立しています。同社の年次報告書によれば、AIと機械学習への投資により「不正検知精度の向上」と「リスク対応速度の加速」を実現しました。外部調査によれば、同社のAIシステムは1億件以上のデータポイントを用いて不正検知モデルを運用しており、95%の精度でリスクの特定をおこなっていると報告されています。
KPIが単なる指標にとどまらず、共通言語として機能している企業では、部署や役職を問わず意思決定の軸が整い、組織全体の判断スピードと一貫性が高まります。こうした状態では、異なる視点を持つメンバー同士でも、共通の数値を前提に議論や改善策の立案が可能となり、戦略と現場実行のズレを最小限に抑えることができます。
作業服・アウトドアウェアで知られるワークマンは、来店単価や棚割導入率などを全社共通のKPIとして定義。これらの指標をBIツールやダッシュボードで全社員に可視化することで、経営層から店舗スタッフに至るまで共通の目線で現場状況を把握し、判断を下せる体制を整えています。
データを集めて見せるだけでは、ダッシュボードは使われない仕組みに陥りがちです。実務で活きるためには、誰が・いつ・どこで・どう使うかまで想定した設計が求められます。ユーザーの役割や判断のタイミングに合わせて、粒度や更新頻度、UXを最適化することで、日々の業務に自然に組み込まれ、意思決定を支える基盤となります。
データ可視化・ダッシュボード設計の専門企業として知られるStrategy Softwareによると、ダッシュボードはユーザーのニーズや利用シーンを徹底的に理解し、設計を進めることで、現場の業務に直結したインサイトを提供し、ユーザーエクスペリエンスの向上とユーザー採用率の促進を実現します。ユーザー中心設計を徹底することで、ダッシュボードが単なる可視化ツールではなく、現場の意思決定や業務改善に活かされる道具となります。
データ分析の結果を、現場の具体的なアクションに落とし込むには、単なる報告や共有では不十分です。経営と現場、分析と実行の間にはギャップがあり、そこを埋める、いわゆる翻訳者が求められます。この役割を担うのは、ビジネスとデータの両方の言語を理解し、施策にブリッジできる人材です。分析結果を業務文脈に変換し、現場の動きを生み出す起点となることで、データ活用の定着と再現性を高めることができます。
ハーバード大学が発行するデータサイエンス分野のジャーナルHarvard Data Science Reviewによれば、組織内にデータサイエンスチームを埋め込むことで、分析プロジェクトの成功率が高まり、ビジネスニーズに密接に連携しながら、専任リソースと専門性を集中させることができると述べられています。こうした構造は、分析と業務のギャップを埋め、現場のニーズに即したデータ活用を促進し、組織の成熟度向上にもつながります。
データを活かす経営においては、使いっぱなしではなく、活用の結果を体系的に振り返る仕組みが不可欠です。実施した施策やKPI、その成果を一元的に管理し、再検証・改善に活かすことが、持続的な成長とナレッジの蓄積を支えます。
たとえば、モノタロウでは、MLE(機械学習エンジニアリング)チームを中心に、検索やレコメンドシステムの最適化に取り組んでいます。施策の効果をリアルタイムで分析し、得られた知見をPoC(概念実証)にとどめず、全社に展開。さらに、モデル開発から運用、改善までを一貫して管理するMLOps(Machine Learning Operations)体制を構築し、部門横断での連携を強化。これにより、改善サイクルの高速化と品質向上を両立させています。
ここまで掘り下げてきたように、自社に照らしてこれらの共通点を点検し、足りない要素から優先的に取り組むことが、データが使われる経営への取り組みの土台づくりとして有効です。
データはあるのに使われない状態から脱却し、現場と経営の意思決定に実際にデータを活かしていくためには、単発の取り組みでは不十分です。そこで重要になるのが、設計・実装・文化と人材という3つの視点での取り組みです。これらを段階的に整えていくことで、データ活用が組織のなかに定着し、成果につながる仕組みが構築されていきます。
データを使える形に変えるための第一歩は、目的と手段の関係を見直すことです。何のために、どのような判断に、どのデータが必要か。それが曖昧なままでは、データ活用の効果は限定的になります。この設計の起点は、KPIの再設計です。経営目標と紐づいたKPIを再定義し、それに対応するデータを可視化していくこと。この一連のプロセスが整ってはじめて、全社で整合性ある意思決定ができます。
フィンランド発のデジタルデザインコンサルティング企業 Futuriceは、データ戦略とビジネス目標の整合性を確保するには、文化変革と多分野連携が不可欠だと強調しています。この多分野連携とは、エンジニア、デザイナー、データサイエンティスト、業務部門など、異なる専門性を持つチームメンバーが一体となって、業務プロセスとデータ設計をつなげていく取り組みです。
Futuriceは、こうした異職種連携によるチーム編成が、目的に即したデータ設計を現場に根づかせる鍵であると指摘しています。単なるデータ分析ではなく、目的から逆算した設計と、現場を含む全社的な共通理解が求められるのです。
どれほど優れたデータ設計がなされていても、それが実務のなかで使われなければ価値は生まれません。実際に使われる状態を実現するためには、業務フローに自然に溶け込んだUX設計と、使い方を支える運用ルールの整備が欠かせません。ダッシュボードやレポートは、ただ提供されるだけでは使われません。誰が・いつ・どこで・どう使うかといった文脈から設計されてはじめて、業務判断に活きたツールとなります。
シカゴを拠点とするUX4Sightは、ユーザー中心のデザインを実現するためには、設計プロセス全体にデータを組み込み、ユーザーの行動や意見をもとに継続的に改善していくアプローチが不可欠であると指摘しています。ユーザビリティテストやフィードバック収集、UXメトリクスの監視を通じて、実際に使われる設計を実現することが、データ活用の定着を支えます。
継続的なデータ活用には、分析と業務をつなぐ人材と学びをナレッジ化する文化が必要です。
Deloitte Bersinの調査では、人材に関する意思決定をデータで支援する仕組みである「ピープルアナリティクス(PA)」の成熟度が高い組織ほど、データ駆動型文化を醸成し、収益・キャッシュフロー・利益率が飛躍的に向上していることが明記されています。
データを継続的に活用するためには、単なる仕組みや設計にとどまらず、人と文化の整備が欠かせません。分析結果を業務に生かすには、データを読み解き、現場に翻訳して届ける人材が必要です。そして、施策の結果を共有・振り返り、組織全体で学びに変える文化が、それを支える基盤となります。
Deloitte Bersinの調査では、もっとも成熟したピープルアナリティクス(PA)を持つ組織は、他の企業と比べて収益性が96%高く、キャッシュフローが88%、利益率が82%高いという成果を上げています。これは、データを使いこなす人材と、それを日常的に活かす文化が、経営成果に直結することを示す好例です。
データを蓄積・可視化する基盤は整っていても、それが経営判断に生かされていない。多くの企業が抱えるこのギャップの本質は、技術や量の問題ではなく、いかに使うかという設計が欠けている点にあります。
KPIが経営目的と連動していない、ダッシュボードが実際の利用シーンを想定していない、組織に活用の文化が浸透していないといった状況では、どれだけデータを整備しても意思決定にはつながりません。
データドリブン経営とは、単にツールを導入することではなく、誰が・どこで・何のために・どう使うのかという視点から、データの在り方そのものを再設計する取り組みです。
特に、目的に立脚した指標設計、業務に溶け込むUX設計、翻訳者と振り返り文化の整備という3つの視点は、実効性の高いアプローチとして多くの企業に応用できます。まずは、自社にあるKPIやダッシュボードを、使われるかたちに見直してみる。それが、データドリブン経営を現場に根付かせる第一歩となるはずです。